1973年、米軍がほうほうの体でサイゴン陥落前に脱出した。この時の北ベトナム兵、いわゆるべトコンのいでたちはゴムぞうりに銃を担いでひたひたとサイゴンの大統領官邸に押し寄せた。
日本でもお馴染みの元南ベトナム副大統領グエン・ カ ・オキや富裕層、政府要人はいち早く南ベトナムを脱出し米国が受け入れた。グエン・カ・オキは南カリフォルニアのオレンジウンティーでリカストアーを経営した。米国に渡ったベトナム人は気位が高くいち早くオレンジカウンティーでベトナムコーミュニティを立ち上げ以後ベトナム政府に対して過激な行動を取ってきた。
同じ民族が旧ソ連が北ベトナム、米国が南ベトナムを支配し国を分断した政策が行われたがベトナム戦争を米国によって引き起こし結末は米国の敗北で幕を閉じた。ベトナムでは毎年戦勝記念日には国中で大騒ぎして、アメリカに勝った、アメリカに勝ったと大騒ぎしている。
米国に渡った一部南ベトナム人は幸運で取り残された南ベトナム人は乗り込んできた北ベトナム軍によって家屋敷、公共施設は接収され警察、病院、学校などは全て北ベトナム人が要職を支配した。
悲惨なのは南ベトナム人の家屋敷を召し上げ北の要人がそこに住むに至っては南ベトナム人の北ベトナム人に対する憎悪は最悪である。ドイモイ以後市場経済を導入し外国資本で経済発展しているが、未だにれっきとした共産国であり一党独裁国家である。
ベトナム政府は政府転覆を恐れ国中公安が網の目のように張り巡らしている。これは旧南ベトナム人の不満分子を押さえ込む事や200万人近い南ベトナム人が米国を筆頭にフランス、オーストラリア、ドイツ、カナダなどに永住している人々やベトナムに入国した全ての外国人に対しても厳しい目を光らせている。
海外脱出でも記憶に新しいボートピュプルの人々は本当に命からがら日本にも到着し難民として受け入れられて永住しているが全体から見るとごく僅かで欧米諸国に比べて日本は冷たい政策をとり続けている。
ベトナム経済の一翼を担っているのが海外脱出組みからの旧南ベトナム人家族宛ての送金で国家予算の数パーセントに達するといわれている。この弊害が旧南ベトナム人の一部若者に曼延し勤労意欲を失わせている。オートバイは新車で1.500ドルからあるが4.000ドルもするスクーターがキャッシュで売れている。月給30ドルそこそこの国でである。
しかしベトナムは北朝鮮のように自給自足が出来ない為に万年食料不足で貧困に喘ぐ事は無縁で豊富な食料に恵まれている。プライドの高いベトナム人は貧しさをさらけ出しホームレスが大都会では溢れかえっている日本とは趣が異なるり同じ貧しさでも質が違う。日本の様にテント、ダンボールなどで暮らすなどベトナム人には到底真似ができない。
ベトナム政府は警戒しつつも海外脱出組みに過去は問わないから一時帰国を奨励したり、祖国でビジネスをしませんかと呼びかけたりしているが一時帰国者はいるがビジネスをする者はごく僅かだ。
ベトナムも貧富の差が激しい。旧北ベトナム人は召し上げた家屋敷を外人に貸しているが、条件が厳しい最低6ヶ月の先払いで1ヶ月の家賃が4DKで1500ドルだと6ヶ月で9.000ドル、少し大きい家だと6ヶ月で15.000ドル、20.000ドルもする。ベトナム人の美学は外国人からお金を取れである。最近は外国企業の増加で外国語をマスターした者は100ドル〜200ドルの給料を貰う様になったミドル層も増えてきたが全体的には30ドルが相場であるから生活は楽でない。
家賃収入のあるベトナム人のリッチ振りは日本人の上流社会にも匹敵する。家賃収入があるから銀行から融資を受けて何件も家を持ち外人に賃貸する層も増えてきた。自宅に炊事洗濯、運転手、子守を住み込ませるのは常識である。
基本的には未だに旧南ベトナム人と旧北ベトナムは反目しているが戦勝記念日やフットボール(ベトナムではサッカーの事をこう呼ぶ)の外国との試合では地響きがするような尋常でない盛り上がり方である。不思議な事にこの時ばかりはベトナム人は一体となりベトナム国旗を振りかざしているのである。
ドイモイ以後外国企業がベトナムに進出したのは中国への外国企業の進出より早かったが爆発的な伸びはなかった。進出企業に対して人民委員会が過度の要求をしたり軋轢が多く発生し撤退企業もあった。最近は中国一辺倒からキャノンなどはリスク分散の為にベトナムにシフトしている。
ベトナムは共産国であるが金が絶対でより多く稼ぐ為に英語、日本語など学ぶ学校が多くあり向学心は旺盛である。インターネットもかなり規制はあるが普及してきたが外国人には100%の自由はないので窮屈な国であることには違いない。