No 8. 自己責任
1997年7月カンボジアの人民党率いるフンセン第ニ首相と、フンシンぺック党率いるラナりット第一首相が武力衝突をした時、筆者はベトナムとカンボジアを行き来し、米国向け輸出に携わっていた。
世界でも珍しい2人の首相はラナりットの父親であるシアヌーク国王の裁定により誕生した。しかし両者の対立は激しさを増しお互いの軍隊がプノンペン市内で睨らみ合いをしていた。筆者は運良く内戦勃発の一日前に陸路でベトナム、ホーチミンに戻っていた。
武力衝突は一日で終わったので翌日、ホーチミンから空路カンボジアのポチェトン空港に降り立って驚いた。空港の管制塔、建物は破壊され入国審査もやっと空き箱の上で職員がスタンプを押してくれた。市内の幹線道路は戦車や残骸があちこち散らばり戦闘の激しさを物語り、トヨタのショールームからは車が無くなり、何千台ものオートバイが保管倉庫から略奪された。
武力衝突の危険性はある程度予知できていたので旅行者、ビジネスマン、各国のNGO等は首都を離れたり他国に避難していた人もいたが、この国で結婚している日本人もかなりいた。日本政府はタイのバンコク迄自衛隊の救援機を派遣していたが危険が伴うプノンペン迄は来なかった。
しかしここで邦人の間で大問題になった。日本の大使がいち早く危険を察知し国外に逃げていたのだ。後にこの大使は左遷になったのは言うまでも無い。現地で結婚している邦人は一時帰国を希望していたが、日本の外務省は一切便宜を図ってないし、自己責任を要求したのだ。
今、世界で一番危険を伴う国はイラクだが当時はカンボジアが世界で一番危険だと認識されていた。現在のカンボジアは1998年の選挙後フンセンが首相になり、ラナりットが国会議長を務めて平穏である。いつの時代も外国に住む邦人は出先大使館、領事館より冷遇され政府関係機関、大手企業の駐在員とは格段の差別待遇が公然と罷り通っている。